チョンマゲの歴史 チョンマゲのプロセス

「チョンマゲ」と聞いたら誰もがあの髪型を思い浮かべると思います。

今の感覚で考えたら凄い髪型ですよね。
その時代の人達はどうしてあんな髪型にしようと思ったのでしょうか。
誰が何のために始めたのでしょうか。

「チョンマゲ」にどんな意味があるのでしょうか。
興味は尽きません。凄く気になってしまったので調べてみました。

チョンマゲの由緒正しい歴史

実は「チョンマゲ」(以下マゲ)は江戸時代発祥では無いそうです。私の持っているイメージとして侍が結っているイメージが強かったので意外でした。
ルーツは平安貴族に有るそうです。

マゲの事を記す前にまずはその元になる髻(モトドリ)の事を記します。

時代は飛鳥時代にまで遡ります。

飛鳥時代に中国から伝わってきた文化で
頭に「冠」を被るというものが有りました。
中国は唐の時代ですね。

それをきっかけに貴族の間で冠や烏帽子(えぼし)を被る文化が広まっていきました。
(烏帽子のイメージは陰陽師が被るような帽子です)

当時、烏帽子は「漆」を使って形を整えていたのそうです。
「漆」ってあの漆器とかに塗るやつですよね。
痒くなりそうですね。

そのせいも有って頭が蒸れてしまって大変だったそうです。

そこで開発された髪型が蒸れを防止するための髪型、マゲの原型となる髻と呼ばれる物です。

髻とはどんな髪型でしょう。
簡単に言いますと、髪を集めて後頭部で束ねた形です。現代風に言うとポニーテールに近い形ですかね。「冠下の髻」とも呼ばれたそうです。

ちょんまげの登場

マゲは平安時代に広まりを見せます。
貴族から武士へと徐々に広まり始めました。
それではどうして武士は髷を結いだしたのでしょうか?

簡単に言いますと、武士が戦の際に兜を被る時髪の毛が有ると蒸れて戦に差し支えるので剃るようになったと言う理由です。

頭の前頭部から後頭部にかけて剃り上るスタイルです。
剃っている部分を月代(サカヤキ)結った部分をマゲと言うようになりました。

剃るようになったのは戦国時代中期からのようで、それ以前は月代の部分を毛抜きで一本一本抜いていたそうです。凄く痛そうですね。そのせいで化膿したり腫れたりして兜を被れなかったという話も有ります。

一番最初に月代を「剃り」始めたのは「織田信長」だと言われております。

余談ですが、「チョンマゲ」というのは明治以降に作られた造語だそうです。マゲを横から見ると「ゝ」に見える事から「チョン」マゲと呼ぶようになったそうです。

頭を剃り、髷を結った理由 つまりチョンマゲの由来は「兜の蒸れから頭を守るため」だったんですね。そうなると全部剃って坊主にしても良かったのではと考えてしまうのですが、そこは坊主よりなら少しでも髪を残しておきたいという現代の人達にも通じるものが有ったでしょうかね。

チョンマゲの日常化

戦国時代において、チョンマゲはあくまで戦のスタイル。戦の無い時は剃り上げていませんでした。

時代は江戸になり、侍達のほとんどは戦なんてありません。平時なので月代にはせず、髪をぼうぼうに伸ばしていました。
江戸っ子達からは、その汚らしい格好が次第に嫌われていきます。そこで武士達は、日常から月代にし、マゲを結うようにしました。その方が清潔感があって好感度が高かったんですね。

ここに、日常的に頭を剃り、髪を結いチョンマゲを作るスタイルが確立したのです。

江戸で花開いたチョンマゲ文化

武士達が月代を剃り、髷を結うことを日常としたことで、町人達にもチョンマゲが広がっていきます。しかし、武士達がしているかっちりしたチョンマゲをどうも合わないと嫌った町人達は独自のオシャレを楽しみ始めます。

どんなチョンマゲが当時流行したのでしょうか?

新しいマゲの開発

かっちりしてしゃらくさい侍のチョンマゲを嫌った江戸の町人達は独自に自分達のお洒落マゲを楽しみ始めます。そこで開発されたのが
「銀杏髷(いちょうまげ)」です。

この銀杏髷こそが、私達が普段言っている「チョンマゲ」に一番近い形になるそうです。
(本来チョンマゲとは髪が少なくなった老人がしたマゲの一種を呼びますが、私はチョンマゲと言えばこの銀杏髷を指していると考えています)

江戸っ子は大変に髪型を気にしたようで、散髪屋が社交場になるほど大繁盛したと言います。
職業によって流行が違ったようで商人は客商売をするために小さ目なマゲをしたといわれています。大きさにもこだわりが有ったようですね。

一方職人さんは全体的に太く短いマゲを結い男っぽく仕上げたそうです。今でも商人は小綺麗な髪形にしますし、職人さんは角刈りに代表される男っぽい髪型を好んだりしますよね。

これだけ流行したチョンマゲ文化も明治に入るとあっという間に廃れてしまいます。

チョンマゲの終焉

明治時代になるとチョンマゲが急に廃れてしまいます。これは明治4年(1871年)に散髪脱刀令が出されたからからです。

一般的には「断髪令」とも呼ばれています。
断髪令の内容とは簡単に言うと

「一般人はマゲを結わなくてい良い、華族(旧侍)は刀を持たなくても良い」

と言う法令でした。断髪令を受けて明治6年に明治天皇が散髪を行い、役人を中心にマゲを結わない人たちが増えていきました。

現代に残っているあの職業のチョンマゲ

時代が進むにつれチョンマゲを結わない人たちが圧倒的に多くなりました。
それでも現代日本にはチョンマゲの文化が残っている場所があります。

それは「大相撲」です。十枚目以上の力士は「大銀杏」というマゲを結うことを許されています。

ただし、力士のマゲは月代にはしておらず、
江戸時代の武士や町民達のスタイルとは違ったものになっています。(頭を剃り上げずに、髷だけを結うスタイル)

1000年も続いたチョンマゲ

飛鳥時代に貴族の間で流行した髻(モトドリ)から千年が経ちました。その間平安から戦国時代にかけて武士に浸透し、月代とマゲが登場しました。

江戸時代になるころには様々なマゲのスタイルが考案され、チョンマゲの文化は一般市民にまで広がりました。

明治に入ると髷は一気に廃れてしまいます。現代に至っては、大相撲や時代劇等の極一部でしか見られなくなってしまいました。

千年以上の時をかけ一般人に浸透した文化が一瞬で衰退してしまったのは残念に思います。
今でも頭を剃り、マゲを結う文化が残っていたらと考えてみましたが、自分がチョンマゲを結う事を考えるとちょっと抵抗が有りますので現代の髪型に落ち着いて良かったと思います。

そんな「変な髪形」の時代の方が昭和平成のたかだか百年より10倍も長い千年以上も続いていたんですからね。
逆に現代人の髪型を当時の人々が見たらやっぱり「変な髪形」と思ったかもしれませんね。
どんな事でも慣れると普通の事になっていくものですからね。これで記事を終わります。